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これまでの歴史


明治12年創業、130余年つづく老舗企業。そう書くと、安定企業なのかと思われがちですが、実態はその逆です。
創業以来、変化し、挑戦し続けてきたからこそ、今があります。
5代目、田村伊幸へのインタビューをもとに歴史を振り返ります。

1879~1964 創業(明治12年)~昭和39年

はじまりは、商売に惹かれた農家の息子のわがまま。

はじまりは、商売に惹かれた農家の息子のわがまま。 創業者の田村伊エ門は、農家の息子だったそうです。
農業ではなくどうしても商売をやってみたいと、明治12年、勘当を覚悟で商売をはじめたと聞いています。
今では、戸建住宅の企画・販売をはじめ、住環境にまつわるあらゆる事業を展開するたむらホールディングスですが、創業時のメイン商材は手作りの「こんにゃく」。食料品店『田村屋』(後に田村商店に改名)としてのスタートでした。

モノが足りない!社会のニーズを受け生活必需品販売へ。

モノが足りない!社会のニーズを受け生活必需品販売へ。 2代目に就任したのは私の祖父、田村伊三治。
しかし、昭和20年前後に戦争で亡くなり、その後は祖母が3代目となりました。
戦後から高度経済成長期にかけては、とにかく生活に必要な物が足りない時代。
荒物や金物、茶碗、鍋、練炭、バケツ、そして塩など、生活必需品全般を取り扱っていたようです。
当時は、店舗の両隣も同じような生活必需品の販売店をしていました。
同じ店が3軒並んでいても商売が成り立つほど、需要があったのですね。

1965~1994 昭和40年~平成6年

時代の風を追い風に、建材販売へと事業をシフト

時代の風を追い風に、建材販売へと事業をシフト 昭和40年代の高度成長期、住宅バブルに日本中が沸いていました。建設ラッシュに建築資材の供給がまったく追いついていない状況。当時専務をしていた私の父である田村伊晨はその風に乗り、建築資材の販売へと事業を大きくシフトしていったのです。
1972年、株式会社田村ビルズとして法人化。実質的には父が4代目として舵取りを行いました。
当時幼かった私の記憶では、父は24時間365日働いていて、 とにかく年中忙しかった印象があります。
家族旅行に行ったという思い出もありません。ただ、社員旅行にはしょっちゅう行っていました。
社員旅行が家族旅行という感じでしたね(笑)

1995~ 平成7年~現在

震災が、人生を変えた。

震災が、人生を変えた。 大学卒業後、大阪の経営コンサルティング会社で働いていた私の頭には、たむらグループを継ぐという選択肢はまったくありませんでした。
考えが変わる契機となったのは、1995年の阪神淡路大震災です。
震災3日目、三宮から西宮まで6~7時間かけて歩いたときの記憶は今でも忘れられません。
まるで戦争映画のような焼け野原。いわゆる廃棄物の山が広がっていました。
その中を、ひとり歩きながら決心したのです。
「山口に帰って、廃棄物や環境に関わる仕事をしよう」。
1996年、山口で廃棄物処理事業をスタートしました。

経営理念の浸透と新卒採用。それがすべての始まりでした。

経営理念の浸透と新卒採用。それがすべての始まりでした。近年のたむらグループでの大きな転換点は、平成18年に新卒採用をスタートしたこと。
当時私は専務でしたが、会社の将来を憂い、大方の反対を押し切って初めての新卒採用に邁進しました。若く優秀な人材を採用し、さらに不動産事業を新規事業として同時に立ち上げました。
また、2009年の社長就任と前後して、経営理念の浸透に経営者として最も多くの時間を割くようにしました。ある意味、狂ったようにそればっかり(笑)。
しかし、あの時の自分の選択は間違っていなかったと感じています。

数十年後、私たちはまったく違う会社になっているはずです。

数十年後、私たちはまったく違う会社になっているはずです。 たむらグループの事業の中心は、「住」環境です。 そのなかで、時代に合わせて様々な事業展開と、各々の事業間の相乗効果を発揮できるようにしていきたい。最近では、リサイクルやリノベーション、リフォームなどの「Re」がつくビジネスに将来性を感じています。130余年前、こんにゃくの販売からスタートしたたむらグループ。
今では、創業時とまったく異なる事業展開をしていますが、130年間、時代時代に合わせて変化しつづけてきたDNAは今でも脈々と受け継がれています。
数年後、そして数十年後には、間違いなく今とはまったく違った会社へと進化しているはずでしょう。
その結果として、創業して200年経っても選ばれる存在になることができたら、
これほど嬉しいことはありません。